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    08/12/2011
パズルのピースが何であるか判別できるようになること、
手に取り、自在に動かし、組み上げる力を高めてきたこと、
そうして難しいパズルを解いて美しい絵を実現しようと挑戦できる、
その都度の楽しさや価値は勿論否定しないものとして、

しかしアイデンティティとしてはそこではなかったのでは。
頑張れば出来るということを、わざわざ確かめようとするのは、結局不毛というか、
前に進む感じが得られない。だから閉塞感は募るばかりだ。

10代から創作に求めたアイデンティティが何であったか、
これはきっと錬金術のような意思と気概だったはずで、
それを音楽作品に結実しようと今まで培ってきた技術や視野のせいで
今ではハナから音楽作品の中でなにかを作ろうとするケースが増えてきたのかもしれないが、
本来そういう流れじゃなかったはずだ。あくまで音楽作品に落とし込もうとするのが自分にとって正解だ。
結果的に出力してきたものは何かしらの結晶であると胸は張れるが、
どこかで制約をクリアした、この条件下ならこうだというような、
苦心の量に対しては不毛感がまとわりつくこともある。

こういうパズルは解けるからこういうのに挑戦しようとか、
そういうんじゃない、それじゃ履き違えている、
そんな勘違いの余裕のなかで何を苦労したって先には進めないのであって、
今の自分がこういう自己表現をしたい、とにかくその後に全てが付随してくるのでないとならない。
そうでないと生きていく意味というのが拓けない。だから閉塞感があるということだろうか。

日々のすべてがそうだと保たないけれど、
何のための日々かは努々忘れてはならない。
出来るかわからないことに挑戦することがすなわち創作であった頃の、当然の感覚を、今も忘れてはいけない。
手探りでないと得られないんだ。手探り感覚はきっと創作の必須の条件だ。
挑戦の主軸は間違えるな。


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